歳のとり方と人相と八千草薫さんについて
すっかり師走ですね、蛙田猫田(かえるたねこた)です。
最近たまに考える事、
歳をとる事について。
生きてきた年月、これまで経験した失敗、予定外の事、生活環境、全ての選択、全部が繋がって今の自分を形成している。
歳をとると人相が顔に出ると聞いた事があるが、30代の私はどんな顔をしているだろう。
人相というか、外見から放たれる雰囲気やオーラは歳に関わらずそれぞれある。なんとなく話しかけやすい人や気が強そうに見える人、ぱっと見で無意識に判断してる自分がいる。
私の場合は、身につけてる物やちょっとした発言で「この人とは合わないかも・・・」と一歩引いて見てしまう事がある。
が、その直感は外れることも多く、もう少し話してみると「めちゃ良い人じゃん」となる事も。直感当てにならず。
最近はきっと色んな職場で60代70代の方とも一緒に働く事が多いと思う。
実際60代の両親も働いている。
実家に帰るとたまに両親が職場の人に対する愚痴を言っている。
その時私は黙って聞いているか共感してあげる事が多い。でも内心では両親の意見を指摘したい時もある。親と働く人達の気持ちを察してしまう時があるのだ。
60代の人の価値観てこーなんだなぁ〜と自分の職場の人とも重ね合わせて考えることもしばしば。
こちらが一度伝えた事を忘れてたり、聞いてないと言ってきたり、前と言ってる事やってる事が違うなんてことは日常茶飯事。それでもプライドが高いので指摘するのは逆効果という場面もよくある。
70代になっても学歴を自慢してきたり、自分はこんなに凄いことをやってきた!というアピール話が多い人もいる。自分の話だけではない、子供の経歴自慢をする人もいる。
不思議なもので、どんなに素晴らしい活動をしている方でも、自らアピールされればされる程こちらとして顔が引きつってしまう。
それを必死で隠して「凄いですね」と連呼して頷き続けながら右から左に流していく。
決して右から心には行かない。
子供もお年寄りも承認欲求が強い。
というか、人って常に承認欲求の塊なのかな。きっと今の自分も。
直感なんて当てにならないのだが、、、
瞬時にこのお年寄りは面倒なタイプだ!と思う時がある。逆に、このお年寄りには優しくしたい!と思う時もある。
なんでだろう、何かが溢れ出てる気がするのだ。
お亡くなりになってしまったが八千草薫さんは私の理想のお年寄りだった。
表情や仕草を見てるだけで尊敬の念が湧いてくる。発する言葉に承認欲求が感じられない。何かを上からさとすような言い方もせず。何気ない発言がすーっと真っ直ぐに心の中に入ってきて重みを感じる。
どうしたらそういう風に歳をとれるのだろう。
うーん、理想を抱いたところでなれるものではない気がする。やっぱり一日一日の生き様が自然とその人を作り出して、周りの人に伝わってしまう気がする。
自分は今後どんなおばあちゃんに仕上がっていくのかなぁ〜。
いじわるばぁさんになりたくないなぁ〜。
優しい人相になりたいなぁ〜。
歳を重ねた分威張るのではなく、歳をとるたびに柔らかく、許せる事と譲れる事を増やしたい。