年賀状作成の裏にある本当の不安
年賀状を作りました。
蛙田猫田(かえるたねこた)です。
我が家は去年から、印刷ではなくスタンプとシールで一枚ずつ手作りの年賀状。
子供がいないので写真を載せた年賀状は作ったことがない。
毎年年賀状の枚数は少しずつ減っている。段々と年賀状の存在自体に必要性を感じられなくなってくる。関わりの強い人には「今年もよろしくお願いします」と書いて送る。年に一度、年賀状だけの付き合いになってしまった人には、もう出さなくていいかなっとなってしまう。私が年賀状を送る相手は、昔働いていた郵便局の先輩と、世帯持ちの友人が中心だ。
「作る楽しさ」
今回出す年賀状は夫婦合わせて40枚程度。手作りと言っても一日で終わった。
干支のスタンプを選ぶ楽しさから始まり、一枚一枚風合いの違う面白さを味わう時間。旦那の作る年賀状は、デザインセンスが無さ過ぎて笑える。まるで小学生の男子みたいな仕上がり。(私もあまり人のことは言えないが。)
コーヒーを飲みながら、イノシシ可愛い!と言って自己満足に浸りながらゆるゆると作成。楽しくてついつい沢山イノシシを押してしまう。最後に黒いペンで目を入れていく作業の時に、一番テンションが上がった(笑)
さすがにスタンプも自分で彫ってお手製!という域には達していない。が、年賀状を出す意味として「作る楽しさ」を感じられると、師走の季節感がありなかなか良いものだと思う。
それと、たまに思うこと。そして私の心の奥にある不安。
私たち夫婦は30代、働き盛りな年なのに、そこらへんの60代夫婦よりものんびりした生活を送っている気がする。
そもそも私は働いてない。実の母も義理の母もまだ働いているというのに。私は子育てもないのに働かず、最低限の家事をする生活。夜は毎日二人で晩酌をし、夫が休みの日には二人でひたすらダラダラする。決して旦那の稼ぎが良いわけじゃない。一馬力の生活はそれなりに地味である。車も持たず、賃貸暮らし、最低限の物しか持っていない。二人で外出といえば、近くの商店街へ買い出しに行ったり、お昼にタンメンを食べに行ったりそんなもの。
年賀状を手作りする時間なんて余裕である。
私は、この生活が時たま無性に不安でたまらなくなるのだ。
こんな怠け者会った事がない、と。
逃げ恥のみくりは所詮ドラマの中の人だしね。